ヨハネの福音書19:23ー42

 

「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。」30

 

エスさまが十字架にかけられる、まさにそのシーン。この箇所を読んで、みんなはどう感じるだろう。悲しいだろうか、嬉しいだろうか。

 

十字架の刑は本当に残虐なものだ。身体を釘で固定され、自身の重みによって受刑者は肩を脱臼する。そのまま上半身が沈み、横隔膜が圧迫され窒息。もしくはそれよりも先に痛みによるショック死か、餓死もあり得るんだそう。あまりにも残忍なので、かけられる人は重大な犯罪を起こした相当の罪人か、奴隷などの最も身分が低いものだった。

 

エスさまは、こんなに残忍な刑にかかった。それは、愛ゆえだ。僕たちを愛するがゆえだ。このことを受け入れよう。

 

「完了した」は、「(愛が)成し遂げられた」という意味で、ヨハネ福音書のキーワードになっている。

 

救いの計画、愛の計画はもうすでに実行されている。あとは僕たちが「受け入れられる」かどうかだ。不条理でさえあるこの無条件の愛を、子どものような心で受け入れよう。

 

十字架の愛を受け入れられたものは、もう過去の罪から解放される。本当の救いがある。安心とよころびと愛が待っている。

 

「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」ルカ18:17

 

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