ヨハネの福音書9:1−23

 

「『先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。』イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。』」2−3

 

当時、病いは本人か先祖の罪の結果だとされていた。でも、イエスさまははっきり言った。この人の苦しみは、主の栄光のために用いられると。


人は原因、理由を知りたがる。犯人は誰だって探そうとする。「なぜこんなことが起きたんだ!?」「だれが悪いんだ!?」と。人にはわからないことがある。


ただ一つ言えるのは、主はいつもその苦しみを耐える強さと、乗り越える力を与えるお方であり、今日あなたに「ただ神のちからが現されるためです。」と語る。

 

「『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」Ⅱコリント12:9

 

主に明け渡すとき、弱さは弱さで終わらない。苦しみを主に祈るとき、その苦しみは苦しみで終わらない。

 

「なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」Ⅱコリント12:10

 

今の苦しみはかならず喜びに変えられる。病いは癒される。だからイエスさまから離れずにいよう。このお方は、あなたを通して主の栄光があらわすことがおできになる神だ。


P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。

 

 

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