ヨハネの福音書7:25−53

 

「イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」37−39

 

渇いた土に水を注ぐとしみわたって行くように、渇いたのどに冷たい水が注がれるように、渇いたスポンジが水を吸い取って行くように、今こころが主にうえ渇いているものは、幸せものだ。その人たちは豊かに満たされる。

 

渇きを覚えることは恵みのスタートだ。主に求めよう。ただうえ渇いたこころをもって御前にでよう。主は与える神。与えることが喜びだ。

 

わたしたちに必要なのは、イエスさまのもとへ行くこと。目をイエスさまに向けなければ体は行くことができない。まず目を主に注ごう。そうすれば自然とからだはついてくるものだ。

 

「飲む」ためには口を開けなければならない。それは主への信頼だ。飲みたくない飲み物には口を開けたくないのが普通だ。それが美味しいと信頼していないから。でも、主が与えるいのちの水を信頼するものは、求めるこころがある。

 

恐れず、主が今日与えるものに期待しよう。そして「受け取ります」と祈ろう。主は与えるお方。満たすお方。

 

わたしたちに必要なのは「感謝」するこころ。悲しみは喜びに、嘆きは笑いに変わる。主の御霊が今日も一人一人のうえに豊かにありますように。

 

「疑うのなら、口をあんぐり開けてみるがよい。そして、わたしが口いっぱいに恵みを満たすかどうか試しなさい。ありとあらゆる祝福はおまえのものになるだろう。」詩篇81:10(リビングバイブル)

 

P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。