ルカの福音書22:39ー62

 

「彼は、外に出て、激しく泣いた。」62

 

ペテロはイエスさまに「きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」(34)と言われたが、まさか自分がそんな裏切るような真似はしないと思っていた。

 

しかし、そのときがくると、彼は本当に三度、イエスさまを見捨て自分をかばった。イエスさまにそう言われていたことを忘れ、ただ迫害の恐怖のあまり自分を守った。

 

そして鶏が鳴くのを聞き、イエスさまの言葉を思い出し、そんな自分が情けなく申し訳なくなり激しく泣いた。

 

ペテロはどうしようもないやつだろうか。人一倍罪に溢れる最低な男だろうか。

 

僕はペテロの気持ちがよくわかる。高校2年生のときに参加した賛美集会で「イエスさまと、友達・家族などのイエスさま以外の人たち、あなたはどちらを選びますか」という究極の二択に迫られたことがあった。

 

参加者は「イエスさまを選び取ります!」と宣言し、みなでひざまづいて祈っていて、僕もみんなに合わせて祈っていた。しかし、心の中で主に再び問われた、「あなたの祈りは真実ですか」と。

 

いま一度、周りの目は関係なく、自分とイエスさまとの関係を見つめ直したとき、自分の弱さ、信仰の薄さに直面した。果たして自分は心の底からイエスさまにしたがうことができているか。このお方のためになら死んでも良い。他のものは捨てても怖くないと言えるか。当時の僕には、言えなかった。

 

そしてそれが情けなく、申し訳なくなり、僕もその集会を出て、激しく泣いた。

 

ああ、イエスさま、ごめんなさい。とそれで胸がいっぱいになった。

 

イエスさまはこんなどうしようもない僕たちのことを、どう見ておられるだろう。怒り心頭だろうか。それとも呆れているだろうか。そうではない。イエスさまはペテロにこう言った。

 

「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました、だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」ルカ22:32

 

イエスさまはこんな僕たちのために、祈ってくれたお方だ。命を捨ててでも愛してくれたお方だ。喜びが溢れ、悔い改め、イエスさまについていきたいと心から思う。