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ルカの福音書21:1−28

 

「みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、とぼしい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」4

 

なんで教会に献金の時間があるんだろう。いつもお菓子とか食べてるから?聖書の話を聞かせてもらったから?教会の様々な活動費?

 

そうじゃない。それは「献金」ではなく「支払い」だ。

 

 

今日の箇所に一人の女がでてくる。

 

「さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。それでイエスは言われた。『わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。』」1−3

 

人はうわべを見るが、神は心を見る。この女の人は貧しかったので他の人のようにたくさん献金はできなかったが、喜んで、自ら進んで捧げた。その心をイエスさまは「彼女は真実だ」と言ったんだ。

 

わたしたちの心がどこにあるのか知りたければ簡単だ。わたしたちがどこにお金を使っているかを見てみたらいい。人は「持っているから使う」のではなく「使いたいから使う」んだ。

 

 

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」マタイによる福音書6:21と聖書に書いてある。

 

だから本当に価値あるものに心を捧げよう。喜んで与えるものとなろう。それは宝であるお金だけじゃない。時間もそう。体力もそう。神を愛し、人を愛するために、喜んで捧げるものになろう。


「与えなさい。そうすれば与えられます。」


主はわたしたちの必要を満たすことがおできになる。主はねんごろに養ってくださるお方だ。「無い、無い」というのはやめよう。天の父の豊かさに感謝しながら、託されているお金、時間、体力を主のために活かしていこう。

 

 

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