ルカの福音書20:19−47

 

「また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」47

 

当時の律法学者と呼ばれる人は「聖書の専門家」だ。彼らは立場と権威があった。人々から挨拶されたり、食事会では一番偉い席に座ったり、みんなから敬語を使われるような人だ。

 

悲しいことは、彼らは聖書に書いてあることを「教える」ことはしたが、「従う」ことはしていなかった。人は立場とか権威とかを持つと、何よりも大事な謙そんさを忘れて、プライドが高くなってしまう。


イエスさまに罪人に対しては寛大だった。でも、偽善者には厳しかった。

 

嫌われ者と一緒に食事をし、病気の人には癒しを与え、間違いをたくさん犯した人にはチャンスを与えた。

 

でも、口ばっかりな人には厳しく、聖書のことばをふるって人々に重い荷物を負わせる人には「盲目の案内人」だと言い、聖い振りをする偽善者には「まず内側を清めなさい」とさとした。

 

わたしたちも偽善者にならないように気をつけよう。「聖い振り」をしないことだ。「信仰的な振り」をしないことだ。等身大でいい。人間らしくていい。

 

ありのままの自分を受け入れるということは、ありのままのあなたを愛したイエスさまを受け入れることだ。見えを張っても何もいいことはない。あなたは神が命を捨てたほど愛された一人なんだ。そして死からよみがえった神があなたのうちに生きている。

 

等身大で生きる人は、曇りのない鏡のようにキリストの光を世に照らしていける。

自然体で生きる人は、通りの良い管のように主から流れる命の水を流すことができる。

 

自分らしい祈りをしよう。自分らしい生き方をしよう。強さも弱さも全部知って、全部ひっくるめて愛してくださるイエスさまに安心して、信頼して今日を歩もう。

 

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」ガラテヤ人への手紙2:20


P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。

 

 

shinseigroup.hatenablog.com