ルカの福音書20:1−18

 

「この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」18

 

この石とはイエスさまのことだ。「砕かれる」というのは、普通、嬉しいことをイメージしない。しかし、神の辞典では「砕かれる」ことが良いことであるだけじゃなく、欠かすことのできないプロセスなのだ。

 

なぜなら、主は砕かれたものを用いるからだ。5つのパンと2匹の魚は砕かれ、裂かれて5000人の空腹を満たしたように、主はいつも、こころが砕かれた人を用いて偉大な栄光をあらわす。

 

主はわたしたちに「もっと手に入れなさい」と言われる方ではなく、「もっと手放しなさい」と語られる。砕かれること、自分の自我やプライド、自己中心を手放すことは楽しいことではない。

 

でも、濡れなければ泳ぐことができないように、主の御前にすべてを捨てたときにあらわされる、偉大な主の御業がある。主に飛び込もう。主が用いやすいものへとつくり変えられるために、さらに砕かれよう。

 

「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。』」イザヤ書57:15

 

P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。

 

 

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