読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「復活への道ー4」マタイの福音書26:57−21:61

 

スペシャルデボメです。

イエスさまが十字架に向かう毎日を読んで、イースターに備えよう。

 

今日は第六日(金曜日) 「十字架」マタイ 26:57-27:61、

 

「それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。」14

 

いわれのない自分の悪いうわさが学校や職場で流れたらどう思うだろう。自分の無実を訴えるためにどんな手段をも用いるだろう。でも、イエスさまは反論していたら十字架にかからなくてもよかったかもしれない偽りの証言に対して一言も弁解しなかった。

 

イエスさまは十字架にかけられたのではなく、十字架を引き受けたのだ。ふりつける雨からあなたを守る傘のように、あなたに降りかかる非難の言葉を全身で受け止めた。

 

「彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」34

 

死刑囚に与えられたせめても慰め、それがぶどう酒だった。叫ぶほどに痛い十字架のうえで、アルコールによって痛みをやわらげる麻酔薬として、ぶどう酒が用いられた。

 

でも、イエスさまはそれを拒否された。あなたの身代わりに受ける痛みを、すべて引き受けるためだ。10の痛みを10で引き受けた。痛みを軽減させることを拒否したんだ。それは、どんな苦しみの重さもイエスさまの愛を軽くすることはできなかった証拠だ。

 

「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」46

 

あなたが叫ぶはずだった断末魔の叫びを、イエスさまが叫んでくれた。あなたの苦しみの叫びは、賛美の叫びに変えられる。あなたの悲しみの叫びは、感謝の叫びへと変えられる。その理由がここにある。

 

イエスさまの十字架のもとにすべての重荷をおろそう。イエスさまが支払ってくれた罪の請求書を、いつまでも眺め続ける必要はない。そこから目を離し、十字架のイエスさまを見上げよう。

 

そこにゆるしがある。そこに解放がある。そこに癒しがある。

 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネによる福音書3:16


P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。