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安らぎ

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3月1日、ユースの高校生が卒業式を迎えました。

 

感謝感謝。ここまで僕たちを導いてくださり、喜びも悲しみもいっしょに味わってくれたイエスさまに、心から感謝します。

 

 

また、受験も守られました。多くの高校生の進路が決まり、受験に臨んだ中学生もみんな合格しています。すでに勝利されている方が味方です、はれるや!!!

 

 

合格の知らせはよろこびです!

 

いままでの労苦、つらかったこと、犠牲にしたことが報われる瞬間でもあります。「あー頑張ってよかった!我慢してよかった!」

 

 

わたしたちにとっての究極の良い知らせは、聖書の福音です。

 

 

 

良い知らせ

 

福音は、わたしたちの労苦に意味を与えます。忍耐する力を与えます。

 

 

トップアスリートたちは、みんな目標に向かって日々労苦しています。 「苦しい労働」。つらかった、我慢の1日だった!そんな日々を過ごしています。

 

しかし、彼らは口を揃えて「これは苦しい労働ではない。目指すべきゴールに向かうステップに過ぎないから。だからこそ、今日も忍耐して歩むことができる。苦しみの中にも喜びがある!」

 

 

 

わたしたちにも、主が与えてくださった目指すべきゴールがあります。勝利が、義の栄冠がわたしたちに与えられています。だからこそ労苦に意味を見出すことができる。

 

 

 

 

 

 

いま、わたしたちは満たされているでしょうか。

 

愛されているなー自分という実感はあるでしょうか。

 

 

愛し方、愛され方は人によって様々です。ぜひ、教会のみなさんでラブランゲージを共有してほしいと思います。

 

 

shinseigroup.hatenablog.com

 

 

教会は、罪をゆるされた罪びとたちの集まりです。裁きあいになってはいけない。お互いを歓迎しあい、愛を示しあう教会になっていきましょう。

 

 

自分自身が満たされていないと、周りを愛することはできません。

 

 

 

しかし、ここで心に留めておきたいことがあります。

 

それは、人の愛には限界があるということです。

 

 

 

家族でさえも、親友でさえも、裁きあい裏切りあう、そういった性質を持ってしまっているのが、人間です。

 

 

 

わたしのところに来なさい

 

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイ11:28ー30

 

 

ここに、わたしのところに来なさい!!といっている方がいます。

 

 

 

本当の愛、完全な愛、心の満たし、安らぎはイエス・キリストにあります。

 

すべての疲れた人、自分ひとりで抱えている人は誰でもおいでと言っています。

 

 

 

カバンが重かったら歩くだけで疲れるように、心が重かったら、生きるだけで疲れてしまいます。しかし、「わたしがあなたを癒す」と言っているお方がいます。

 

 

 

 

このお方は、どういう方なのでしょう。

 

 

 

「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」マタイ21:5

 

 

イエスさまはわたしたちの王です。王の中の王です。王はすべてを支配しておられるお方、全主権を持っている方。わたしたちの生活にどんなことが起こったとしても、その主権は王の中にあります。

 

永遠さえもその御手の中におさめておられる。

 

 

 

王なるイエスさまがエルサレムについたとき、預言が成就しました。聖書のクライマックス、十字架にかかるためにエルサレムに入場されました。

 

そのときに用いたのは、ろばでした。

 

 

 

わたしたちが何を用いるか、何を選択するかというのは、わたしたちの価値観・性格・好みが表れます。イエスさまが何を用いたかをみることで、イエスさまがどんなお方なのかをみることができます。

 

 

王なるお方は何を用いたか。ろばです。

 

 

 

 

ろば。

 

 

 

 

 

ろば…?

 

 

 

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なんか、もっと、こう、白馬とか、格好いいものかと思いきや。

 

 

 

ろばってそんなに魅力的ではないんですね。

 

 

 

馬のようにすらっとしていない、背が低く足も短い。

 

また、足も遅く、ゆっくりとしか移動できない。

 

 

 

 

 

ここで知ることができるのは、イエスさまは本当にへりくだったお方だということです。上から目線ではなく、わたしたちの目線にまで合わせてくださいます。歩幅をわたしたちと合わせてくださいます。

 

 

神であられたのに、人となってくださったお方。

 

身分が天と地ほど違うのに、わたしたちの理解者になってくださるお方。わたしたちよりも、わたしたちの心情、悲しみ、喜びすべてを代弁してくださるお方。

 

 

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」ヘブル4:15

 

 

 

ろばだって強いところがあります。

 

 

それは、ものすごく足腰が強いということです。

 

だからろばはたくさんの荷物を抱えることができる。

 

 

 

 

イエスさまは王であられたのに、その王なる力を用いて、わたしたちの重荷を背負ってくださるのです。それが十字架です。

 

 

 

イエスさまが望んでおられること

 

イエスさまがわたしたちの人生に願っていることはなんでしょうか。

 

わたしたちがイエスさまに愛情表現できるとしたら、イエスさまのラブランゲージはなんでしょうか。

 

 

 

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」1テサロニケ5:16−18

 

 

わたしたちが喜び、祈り、感謝する姿をイエスさまは喜ばれます。

 

 

イエスさまに重荷を預け、イエスさまのもとで安らぎ、イエスさまの愛をいっぱいに受ける。状況に支配される喜びではなく、イエスさまのうちから湧き上がる喜びがある。

 

 

イエスさまが持っていた平安というのは、環境に左右されません。いつも喜んでいることができる理由は、イエスさまのうちにあります。

 

 

主をよろこんでいく。そのような歩みをしていきましょう。