神の力か私の恥か

 

2月12日、主日礼拝のメッセージは、ローマ信徒への手紙1章1~17節からです。

宣教は、小原輝樹 伝道師です。

 

1キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、 2この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、  3御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、  4聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。 5わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。 6この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。―― 7神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。 8まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。 9わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、 10何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。 11あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。 12あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。 13兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。 14わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。 15それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。 16わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 17福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。」ローマ信徒への手紙1章1~17節

 

 

「ローマ信徒への手紙」は、使徒のパウロが3回目の伝道旅行中に滞在していたコリントで書き記したものと言われています。

 

 

 

今回のメッセージは、以前話した話の続きになります。

 

 

 

以前お話しさせていただいたメッセージの記事

shinseigroup.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは福音を恥としない

 

 

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パウロは、イエス様を伝えて、たくさん恥をかいた人でした。

 

 

 

例えば、牢屋に入ったこと。

ごはんが食べられなかった。

着るものがなかったから、寒かった。

 

さらっと書いてありますが、「自分は刑務所に入っていた」なんていう事実は人には恥ずかしいことですよね。

 

 

 

 

 

イエス様の福音を伝えているのに、恥ずかしい目にあっていました。

 

 

 

 

今回の聖書箇所である、ローマ信徒への手紙の1章8節~15節を見ていただければわかる通り、パウロはローマに行って、福音を宣べ伝えることを心から望んでいました。

 

 

 

なぜか。

当時の世界の中心地であるローマで伝道すれば、

 

 

イエス・キリストの福音が全世界に広められると考えたからです。

 

 

 

 

 

この手紙を書いたときは、ローマに行くことが叶っていませんが、 のちにパウロはその願いが叶います。

 

 

 

 

 

ローマに行くことになった背景

 

パウロが「イエス様は救い主だ」と福音を宣べ伝えていたことが原因で、逮捕されてしまいます。そして、ローマで裁判を受けるために護送されました。

 

 

自分の願い通り、ローマに来ることが出来ました。パウロはここで死刑判決を下されてしまいますが、殉教したといいます。殉教したことは、聖書には書かれていません。様々な資料から、わかったことです。

 

 

 

 

そんな死刑判決を下された彼が遺言として述べたことは、

 

 

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」テモテへの手紙4:2

 

 

 

私たちは、それぞれの生活の中で、誰かにイエス様を伝えようとすると、時に嫌な経験をすることがあります。

 

 

それが、「恐れ」となって、福音を証することが、恥ずかしくなる時があります。

 

 

 

 

日曜日は教会で「ハレルヤー!!」と叫んでいるけど、

いざ教会から出ていったときに人に証しすることができない。

 

 

 

心の中で神さまを「」としていることはないでしょうか。

 

 

 

 

一方、パウロは福音を宣教することで何度も屈辱的な経験をしたのに、

 

わたしは福音を恥としない」と言うです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神さまへの借金

 

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パウロはまだ会ったことのないローマの人に対して、

手紙の書き出しに、自分は「キリスト・イエスの僕」と言いました。

 

 

この「僕」という言葉は、「奴隷」という意味です。

 

当時の社会では、「奴隷」という言葉はとても恥ずかしいものです。

 

 

 

 

 

「わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。」ローマ信徒への手紙1:14

 

 

 

ここでパウロは、「果たすべき責任がある」と言っています。

 

 

 

 

ここでの「責任」という言葉は、

新改訳聖書では「負債」と書かれていて、

 

 

 

 

それは「借金」という意味になります。

 

 

 

 

 

パウロは、福音を語って恥を受けたけど、ローマにいかなければならないと思っていました。

 

 

それはパウロ

返さなくてはならない借金がある

と思っていたからです。

 

 

 

 

それは人間へのものではなく、

 

神様に対する借金です。

 

 

 

 

パウロは、自分の使命を借金だと受け止めていたのです。

 

素晴らしいイエス様からの恵みは借金であり、今度はお返しする番だ!と思っていました。

 

 

 

 

 

わたしたちが持っている罪は、とても大きいものです。わたしたちの内側はなんと愚かでしょうか。

 

 

 

でもそれをイエス様は十字架で贖ってくださいました。

 

 

 

十字架にかかったイエス様は、

どんなに恥ずかしかったんだろうな、と思います。

 

 

 

 

イエス様は、ユダヤ人にねたまれて殺されました。

 

 

十字架とはじわじわ殺していきます。

イエス様を妬んだ人たちは、恥ずかしめを与えたかったのです。

 

 

 まず、服をはぎとる。そして、むちで打って血まみれにする。

いばらの冠をかぶせて、【ユダヤ人の王】という張り紙かけて、笑い者にした。

 

 

 

 

 

 

「ハハハハ。見てみろ、あれ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

そのとき笑っていた人達はたくさんいました。

 

その人たちは、世の知恵を持つ人たちでありました。

 

その人たちは、イエス様の十字架のことを鼻で笑います。

 

 

 

 

今も、世の知恵を持つ人は、イエス様の十字架のことを鼻で笑います。

 

 

 

 

 

神さまの福音を「」だと思っている人は、 

 

イエス様を笑った人と、おんなじではないでしょうか。

 

 

 

 

 

福音は神の力

 

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「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」ローマ信徒への手紙1:16

 

 

 

聖書は福音を「神の力」だと言います。

 

学問でもない、知識でもないです。

 

 

力とは、「デュナミス」という言葉で、ダイナマイトの語源の言葉です。

 

 

神の力とは、罪から解き放っていくような、ダイナマイトのような強い力があるんです!

 

この力は人を新しくします。

 

 

16節には、「信じる者すべてに救いをもたらす」と書いてあります。

 

逆説的に言えば、信じない者には笑い話ということになります。

 

 

 

「福音には神の義が啓示されています。」ローマ信徒への手紙1:17

 

 

 

また神の義を知ると、あなたがいま神の前にふさわしくないことがわかります。

 

なぜなら、罪のない人間はいないからです。

 

 

 

福音は罪をあらわにしていきます。

 

 

 

 

 

 

さぁ、あなたにとって福音

 

 

神の力」ですか? 

 

それとも「私の恥」ですか?

 

 

 

 

どちらでしょうか。

 

 

それは私たちの信仰の在り方にかかっています。

 

 

 

なぜなら、福音とは

「信じる者すべてに救いをもたらす神の力」だからです。

 

 

 

 

 

 

だからこそ、神さまに期待しましょう

 

 

あなたがイエス様信じるなら、

 

神さまは偉大な計画を持って、 

あなたに大きな神の力を、体で体験させてくださるでしょう。

 

 

 

 

主に祈り、ゆだねて、歩んでいきます!

 

 

 

 

 

分かち合い 

・誰かに自分がクリスチャンであることを証しして恥ずかしい思いを恥ずかしい思いをした経験はありますか?

・あなたが身近な人に救いの証しをすることを止めるものは何だと思いますか?

・福音は「神の力」だと感じた経験はありますか?

(経験がなくても心配いりません!求めるものには与えられるのです!)