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マタイの福音書26:47−68

 

「そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。『何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。』しかし、イエスは黙っておられた。」62−63

 

言われる覚えのないことでまわりから責められたことがあるだろうか。「そんなこと自分はやっていない!」と発言しなければ、事態は変わらない。

 

イエスさまは裁判にかけられていた。たくさんの人々が偽りの証言、不利な証言をしていた。でも、イエスは黙っておられた。そして、黙っていたら十字架刑から逃れられたかもしれないところで発言した。

 

それはつまり、イエスさまは十字架につけられたのではなく、十字架を選び取ってくださったのだ。なぜなら愛は感情ではなく、決断だからだ。わたしたちの罪の身代わりとなるために、恥と屈辱を引き受けるために決断してくれた。

 

わたしたちも決断によって神を愛し、人を愛していこう。感情はすぐに移り変わる。状況や環境もすぐに変わる。でも、神を愛する決断するなら主はその決意を実現に導いてくださる。わたしたちが一歩を踏み出し、主がそれを成し遂げてくださる。「主よ、わたしは例えどんなことがあろうとあなたを愛し、あなたに従います。主は今日もその力を与えてくださる。

 

P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます

 

 

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