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神の強制に生きよ

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今日のメッセージは、マタイによる福音書16:21ー27からです。

 

21その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。 22するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」 23しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」 24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。 26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。 27人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。」

  

幸せとは何か

 

どういうことが幸せだろう。だれでも幸せを求めます。

 

「そんな罪なんて犯してない、悪い事していないから、神さまを私は必要としていない」という人がいます。

 

神の必要とせず、自分で幸福をつくっていっています。いわゆる「自給自足」です。

 

神を信じている人にとっては、それは「他給他足」ですね。他とはもちろん神のことです。

 

では、なぜ神に従うことが幸福なのか。 

 

 

 

強制についてがわからない人は、夏目漱石の『こころ』を読むことをお勧めします。夏目漱石は、人間の生き方を追求した方です。何が人間を幸せなのか、何が人間を不幸せにするのか。

 

そして夏目漱石がたどり着いた答え、それは「自我」が人間をさまたげているということ。

 

 

 

 

ここからは、少し『こころ』についてを紹介します。(ネタバレあり)

 

 

『こころ』は【私】という人物が主人公です。【私】は自分の両親が亡くなってしまい、両親と引き換えに、自分のところに遺産がきます。それを【私】を引き取ったおじさんが、横領してしまい、 【私】は、自分の近い人間から裏切られ、信じられるのは自分だけだと、人間不信になります。

【私】が学生時代、下宿で無二の親友と同居することになったが、そこに住んでいるお嬢さんを、2人とも好きになります。

特に親友は、恋が実らなかったら、死ぬだろうというくらい一途でした。【私】は、親友に譲ろうと思いました。しかし、結局親友が悩んでいる間に、自分がお嬢さんに結婚を申し込み、OKされます。それを知った親友は、結果自殺してしまいます。

 

 

 

 

 

自分の思い「自我」を優先した結果です。 自己中心とは、自分も殺すし、人も殺します。 

 

 

夏目漱石は、「則天去私」を文学・人生の理想としました。

 

天に従って、私は去る。

自分を捨てて、天に従う。

 

 

 

 

イエス様も自分を捨てなさい、自分より確かな存在は神しかいないとはっきりいいました。

 

 

 

 

自給自足では、何が正義が、自由か、わからないです。だって、人間の欲でしか考えることができません。

 

 

結局『こころ』のように、自分を失い、愛する者を失ってしまう。

 

 

 

 

 

 

神が救いをおこすとき、その前に神は闇をみせます。

 

試練の道を通って、自分が犯した罪の結果を見て、悔い改めるとき、神はそこに救いを与えてくださります。

 

 

 

 

「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」ヨハネ福音書16:7ー8

 

 

 

 

クリスチャンは、一度は思ったことはないでしょうか。

 

「キリストを知らなかったときの方が気楽」

 

クリスチャンになると、誘惑との戦いや試練が多くなります。その闇がどんなに大きいか。

 

 

 

例えば、医者からガンと宣告されたが、本人がガンとは思わず、医者と関わりも持ちたくないし、ガンではないと信じなければ、その結果はどうなりますか。

苦しみの中の死しかありません。

ガンだといわれて、初めて医者との関わりができます。

 

 

 

信仰もったけど、いいことない。しかしそれは、まさにあなたを救おうとする前作業。

そのままだと滅びしかないよと。

 

 

 

 

 

ある人がクリスチャンのことこういった。

 

 

「自己の破産者。」罪の問題に関して自分で処置できない人。

 

もう自分でこの罪を担いきれないとわかっている人、神様に預けるしか方法がないことをわかっている人という意味です。

 

 

 

 

 

干渉という言葉の意味は、立ち入って世話をすること。

強制はそういうこと。縄でひっぱることじゃない。

神が中に入り、心に触れて、世話をしてくれる。

 

 

 

 

 

 

干渉の反対はなんでしょうか。

 

 

「あなたの中に異国の神があってはならない。あなたは異教の神にひれ伏してはならない。わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。しかし、わたしの民はわたしの声を聞かずイスラエルはわたしを求めなかった。わたしは頑な心の彼らを突き放し思いのままに歩かせた。わたしの民がわたしに聞き従いイスラエルがわたしの道に歩む者であったならわたしはたちどころに彼らの敵を屈服させ彼らを苦しめる者の上に手を返すであろうに。」詩篇81:10ー15

 

 

 

 

あなたを突き放し、思いのまま歩かせた 強制の反対は、放任です。好きなように歩け。

これが一番恐ろしいこと。

 

 

 

 

世界はどうなる。

迷走と停滞の時代がはじまった

確かなものは何もない。

 

 

 

 

  

だから

迷うときには強い手で連れ戻して引き上げてください。 

間違うときはとどめてください、強制的にでないと、私は迷ってしまう。

 

 

 

 

それを行うのが聖霊さまです。

 

 

 

 

自由と自由が火花散らしている時代、その自給自足はあなたを救いますか?

 

 

夏目漱石はNOと言います。

 

あなたはNOと言えますか。

 

それをNOと言わして下さるのも聖霊様のお力あってのことですがね。

 

 

 

 

「ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンである。」と言われたので、イエスについてつぶやいた。彼らは言った。「あれはヨセフの子で、われわれはその父も母も知っている、そのイエスではないか。どうしていま彼は『わたしは天から下って来た。』と言うのか。」イエスは彼らに答えて言われた。「互いにつぶやくのはやめなさい。わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」ヨハネ福音書6:41ー44

 

 

 

 

神の強制の恵み

 

 

イエスさまが、言葉と聖霊によって引き寄せていくことが、恵みであり幸福です。

 

ここにだけ救いがあります。これを伝えていきましょう。

 

イエス様のように、父から聞くまま語っていきましょう。

 

 

 

教会では深い祈り。祈りの家。

 

部屋で祈れないときも、

 

間違うときには、とどめてください迷うときには、どうか私の中に入り、世話してくださいと祈りましょう。

 

 

神さまを待ち望み、期待して、教会生活を守り、これからも祈り続けていきます!