マタイの福音書22:1ー22

 

「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。」2

 

今日はイエスさまが天の御国について、天国について教えてくれたところ。イエスさまはいつも「例え話」を用いて、偉大な事実をわかりやすく教えてくれた。愛はいつも、相手に寄り添うこと。相手の目線まで下がること。相手に伝わるように愛情を示すこと。ここにもイエスさまの優しさがあらわれている。


天国はまさに、結婚の披露宴だ。宴会だ。そこには喜びと感謝、祝いの歌声と愛があふれている。当時、ユダヤでは宴会がひらかれるとき、招待は二度なされた。一度目は「開きますよ〜!出席してください!」という招待。二度目は「さぁ準備が整いました!祝いましょう!」という招待。

 

この例え話では、王は結局三度まで招待したが、毎回人々は拒絶した。だから、「招待される者は多いが、選ばれる人は少ないのです。」14 と嘆いた。

 

王は「王」だから、人々を無理やり連行することだってできる。その権力をもっている。でも、最後まで手を差し伸べて、拒絶されてもあきらめずその宴会の日まで招待しつづける姿がここにある。

 

なぜなら、愛は相手を支配することではなく、相手に選択を許すからだ。相手に自由を与え、相手の意見を尊重することだからだ。

 

主は、あなたを無理やり信じさせることだってできる。無理やり教会に連れてくることだってできる。でも、あなたに招待を送り、あなたが選ぶのを待つお方だ。

 

王の権力を、支配することではなく愛することに使う神。忍耐をもって愛をあらわす神なんだ。

 

今日という日に、王の中の王である神からの招待に応えよう。

 

 

「主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。」詩篇103:8ー14

 


P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。

 

 

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