パウロの遺言

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今日のメッセージは2テモテへの手紙4:1−8からです。

 

1神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。 2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 3というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、 4真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。 5しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。 6私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。 7私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 8今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」

 

メッセージを取り次いでくださったのは、小原輝樹伝道師です。

 

 

 

 

年をとるんだなあ

 

私事ですが、先日誕生日を迎えました。50歳が見えてくる年になりました。

 

大河ドラマ真田丸」をご覧になった方はいますか?

戦国時代にもし私が生まれていれば、私はそろそろ寿命を迎えます。当時の平均寿命はそのくらいだったのです。平均寿命が50歳を超えたのは戦後からだそうです。

 

 

時が経つのは早いなあと思うんです。

 

 

 

家にある体重計は、体重以外にいろんなことを教えてくれます。

体脂肪、筋肉量、骨の量、体内年齢、、、

 

私がバキバキに鍛えていたとき、体内年齢は32歳だったんです!

 

それがね、誕生日を迎えるとピコッと1歳増えているんです。それにもう腹が立ちましてね!笑

 

誕生日を設定しているからなんですけど、体内のことは変わっていないのに(むしろ体脂肪なんかは良くなっているのに)実年齢が増えると体内年齢も増えてしまうんです。

 

 

 

年をとるのは仕方がないんだなーと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

最近、私の周りの人が突然亡くなりました。

 

自分より年下の人が亡くなるっているのは、ショックが大きい。

 

いつか私も、その時がくるんですね。

 

 

 

 

 

パウロも私と同じような思いだったと思います。

 

彼はイエスさまを信じる人が大っ嫌いな人だったんです。クリスチャンを見るとすぐに迫害するようなやつ。しかし、復活のイエスさまを見て、人間がごろっと変わってしまった。

 

彼は、イエスさまの福音を宣べ伝えるはたらきに命をかけた人になりました。

 

 

 

 

 

あるとき、パウロエルサレムで福音を語っていると、逮捕されてしまった。

 

ローマに護送され裁判を受けることになりました。

 

 

 

彼にはテモテという愛弟子がいました。

 

パウロは自分が処刑されるということを知っていた。だから愛弟子に何か残そうと手紙を書きました。それが今日読んだテモテへの手紙です。

 

テモテはそのとき、エペソというまちの教会で働いていました。エペソの教会には色々ゴタゴタと問題があって、テモテは疲れていた。

 

テモテを励ますためにパウロが残したかった言葉とはなんでしょうか。

 

 

 

私たちは旅人

 

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聖書は人生を旅にたとえています。

 

旅には目的があります。私たちの人生の旅の行き着く先はなんでしょうか。

 

 

それは、神さまが待っているところに行くことです。

 

 

 

 

どうして私たちは旅をするんですかね。

 

 

なんのために生きているんでしょうか。

 

 

 

 

そんなことを考えていたって仕方がない!今日が楽しければいいじゃないか!

 

とそう考えている人が多いと思います。だから自分が旅をしていることを知らないんですね。でも、多分、旅をしていることに気がついた方がいいんだと思います。

 

 

 

私たちの旅は、一人旅のようです。

 

 

愛する家族たちがいても、最後に行くところは一人で行くんです。

 

 

でも、実は、目に見えない同行者がいます。

 

その存在を信じようが信じまいが、関係なく、一緒に旅してくれている人がいます。あなたが見えないだけで、いつも隣にいてくれています。

 

 

 

旅をすると危険なところもあります。

 

私も何度か危険な旅をしたことがあります。

歩いているとパンッパンパンッ!!と聞きなれない音が。

ああ、自分はヤバいところにいるんだと思いました笑

 

 

そんな危険なところにいるとき、同行者はおんぶしてくれるんです。

背中を押して、一緒に歩いてくれるんです。

 

 

そういう人が、いるんですよ。

 

 

 

 

イエスさまというお方は、そういうお方です。

 

 

 

 

 

人生の旅の目的はなんでしょうか。

 

クリスチャンだから「神の栄光を表すためにです!」と言えたら素晴らしいです。

 

でも、私は祈りの中でハッと気づかされたんです。

 

 

もっと根本的に、もっと大切なことは、

 

自分が旅をしていることに気がつくということと、

 

同行者の存在を知るってこと

 

 

 

 

人生の目的ってひょっとしたら、

この同行者を知って一緒に喜んで旅をすることじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

パウロの旅

 

パウロも旅人でした。

 

そして彼は、その旅が終わりに近づいていることを知っていた。

 

処刑されるからです。

 

 

 

最後に、彼はなんと言ったんでしょうか。

 

 

神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。」1

 

 

「おごそかに命じる」というんです。

 

神の御前で、裁き主であるイエスさまの御前で、イエスさまが再び来られるということと天国を見つめながら。

 

 

 

私たちは、現在の現実を始点として、将来のことを考えます。

 

しかしパウロは逆でした。将来約束されていることを始点として、そこから現在を見ていました。未来のことを思いつつ、現実を見ていた。

 

 

 

 

生きていると理不尽な出来事がたくさんあるんです。

 

そういうことが起きると私たちは誰かのせいにしたくなります。

 

親が悪い! 環境が悪い! 時が悪い! 神さまが悪い!

神さまなんていないんだ! いたとしても冷酷な神だよ!

 

 

 

パウロの現実を考えてみると

 

処刑されてしまうんです。文句の一つでも言いたくなるような状況です。

 

 

 

あまりに厳しい現実を見ていると、神さまがわからなくなる。「所詮あたまで作った空想でしょう」と思いたくなる。

 

この厳しい現実に、神さまは隠れている、沈黙している。

 

なんてひどい!!

 

 

そう思う人もたくさんいるでしょう。

 

 

 

 

それは、現在の状況から、神を見ているからです。

神さまが用意されている約束から、今を見てみましょう。

 

パウロはそういう人だったんです。

 

やがて来られること、そして天国が約束されていること。

 

 

 

「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」8

 

このパウロには、処刑される屈辱感や敗北感はありませんでした。

 

むしろ勝利者のような言い方です。

 

 

 

2000年くらい前にこの世にこられたイエスさまというお方は、私たちの罪のために傷ついて死んでくださった。

 

私たちはイエスさまを信じることで、裁きのときに「あなたに罪はありません。潔白です。」と告げられる特権を得ます。なんと素晴らしいでしょうか。

 

今の状況を見て「どうして!?」と思うその問いの答えは、イエスさまが再びこられる時に与えられます。

 

 

 

ひとつ言えることは、神さまは「誰も滅んで欲しくない」と思っていることです。

 

だから今日も、あなたの心の扉を優しく叩きます。無理強いはしません。優しく、です。

 

 

「私、同行者なんですよ。一緒に旅をしましょうよ。」って。

 

 

 

 

パウロの遺言

 

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「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」2

 

 

 

ここでいう「みことば」は単なる文字のことを言っているわけではないと思うんです。

 

 

文字によって表現された「神さまのみこころ」を伝えなさいと言っています。

 

 

もっとわかりやすくすると、イエスさまから得た喜びを伝えなさい。

 

証ししなさい!とパウロは言うんです。

 

 

 

 

 

「みことばを宣べ伝えなさい」と言われると気が重くなりますか?

 

いやぁ、プレッシャーだなぁ。聖書はちょっと難しいからなぁ。

 

 

みなさん、たくさん勉強したから伝えられるわけではありませんよ。

 

イエスさまの時代にも、パリサイ派という聖書に詳しい学者たちがいました。彼らは自分の罪の問題を自分で解決しようとしていた人たちです。

 

 

どれだけ詳しくても、イエスさまのことを最後までわかりませんでした。

 

 

 

 

 

ところが、そんなに勉強はできなかったけど、イエスさまの弟子にはペテロという漁師がいました。彼は約束の聖霊を受けて、多くの人をイエスさまに導きました。

 

 

行いや勉強によって、伝えられるようになるわけではないんです。

 

 

 

 

みなさん、イエスさまと出会って嬉しかったですよね!!

 

私もある集会で、イエスさまと出会いました。30歳手前だったけど、その瞬間泣きに泣きまくってしまった。恥ずかしかったけど、嬉しかった。

 

 

みなさん嬉しくないですか、イエスさまと出会って!

 

嬉しいなら、「嬉しい!」って言えばいいじゃないですか!

 

 

「僕はイエスさまに出会って嬉しかったんだ!」って。

 

それ、みことばを宣べ伝えるってことですよ。

 

難しくないでしょ。「嬉しかったんです」って言えばいいんです。あなたが体験した喜びを、そのまま伝えればいいんです。

 

なにか知識がいるわけでもない。難しくないんです。

 

 

 

 

パウロの遺言は、こういうことだったんじゃないかと思うんです。

 

 

 

 

 

そして、パウロはある予言をするんです。

 

「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」3−4

 

 

人は自分の都合のいいことだけを聞きたいんです。

 

神さまの心なんて知りたくなんです。それより今の自分を満足させたいんです。

 

自分にメリットがあることは何かを聞きたいんです。

 

 

 

そういう信仰はまがいものだって一蹴します。

どんな状況の中にいてもただ神のみこころだけを宣べ伝えなさい。時がよくても悪くてもです。イエスさまだけを宣べ伝えなさい。

 

 

私たちを救うのは宗教じゃない!哲学でもない!何かのセミナーでもない!

 

ただ、イエスさまの福音だけだ、と遺言を残すんです。

 

 

 

 

 

 

この手紙は、聖書となりました。

 

そして私たちはこの聖書を通して、神さまからメッセージを受け取っています。

 

 

 

わたしたちも日々の生活の中でみことばを宣べ伝えていこうではありませんか。

 

「神さまとであってこんなに嬉しいんです!」と言おうではありませんか。

 

 

 

 

難しいかな? 難しくないんじゃないかな。

 

もし難しくなったり億劫になったりしたら、その時は一緒に祈ろうじゃないですか。

 

一緒に分かち合おうじゃないですか。そのための、神の家族です。

 

そしたら神さまが絶妙なタイミングをくださいます。信頼してみてください。

 

 

 

 

Challnge

 

・「イエスさまと出会って嬉しかったんだ!」と言ってみよう。

・神の家族と祈ることを忘れないでいよう。