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リバイバル聖会

DEVOTION DIARY

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ハレルヤ!! イエスの御名を賛美します。心から!

 

1月10日、札幌キリスト福音館にて開催された「北海道リバイバル聖会」に参加しました。

 

新年が始まってすぐ、北海道中の教会がひとつの場所に集まり、共に賛美し祈り同じみことばを味わう機会を持ちました。僕たちは賛美奉仕者としてのはたらきをさせていただき、本当に、本当に恵まれたときとなりました。

 

やっぱりイエスさまはいるんだな。 そう改めて心から確信しました。

 

感謝の証しとメッセージをまとめます。

 

メッセージを取り次いでくださったのは、神奈川県藤沢市に位置するオリーブチャペルの主任牧師、藤村良彦先生です。

 

 

父なる神さま

 

アメリカにあるカード製作会社が、刑務所にカード500枚を寄付したそうです。「どうぞ、もうすぐおとずれる母の日のために、自由にカードを使ってください。」すると、なんと数日後にはすべてのカードがなくなって、刑務所から発送していったんだそうです。

 

カード会社は「こんなにも需要があるのか!」とよろこんで、その後の父の日のためにも同じようにカードを寄付したんだけど、なんと何日経ってもカードが減っていかない!

 

そんな報告があったそうです。

 

あらゆる人間関係の中で、父親との関係が崩れるということは、実は人生の中でも見えないところで起こるいろんな問題につながっているということがこの報告で語られているんだろう、とそう思うのです。

 

 

聖書には、次のような言葉があります。

「どうか、私たちを愛し、何の値打もない者に永遠の慰めと希望とを与えてくださった、主イエス・キリストと父なる神が、あらゆる励ましをもって、あなたがたを勇気づけ、ことばと行ないとで、善を追い求めさせてくださいますように。」2テサロニケ2:16ー17

 

なんの値打ちもない者を、神さまは慰め、励まし、立ち上げることができるようにさせてくださる。こんなわたしたちが、これからの世代の救いのために神さまから選ばれているとしたら、何を決断するでしょうか。

 

 

 

藤村さんは、10年間、「父なる神さま」と祈ることができませんでした。父親との関係が良いものとは言えなかったからです。

 

「神さま!」ということはあっても「天の父なる神さま…」とは言えなかった。

 

神学校に入って、毎朝のように祈祷室で神さまとの1対1の時間を持っていました。ある日の朝、不思議と「天の父なる神さま」という祈りが自分の口から出るのが聞こえました。ああ、主はわたしを癒してくださったんだ!ということを確認できた時間でした。

 

父なる神さまとの1対1の関係を持っていくときに、神さまはわたしたちの内側に、豊かに触れてくださいます。

 

 

 

あるとき、電車に乗るとパニック障害過呼吸になって苦しんでいる若い女性と出会いました。会社にいけないんです!

「何か問題があるんですか?」と聞くと、「会社の上司が、どうしても嫌なんです。何をされたってわけじゃないけど、顔を思い出すだけでパニックになるんです!」

 

もっと話を伺っていくと、その女性が抱えている問題の根本は、お父さんとの関係が崩れているということでした。上司の人かわいそうだな、何もしていないのに!笑

 

 

そのように、人の心っていうのは複雑に絡み合っています。

そんなわたしたちをの心を、神さまはすべてきれいにつくりかえてくださり、祝福に導こうとしておられます。

 

 

わたしたちをつくってくださった方であり、決して見捨てないお方、それが父なる神さまです。

 

 

 

語りかけをきく

 

今日のメッセージは、ヨハネ福音書5:1ー9からです。

 

1その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。 2さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。 3その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。 45そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。 6イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」 7病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」 8イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」 9すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。」

 

 

ベテスダの池という場所で起きたある出来事のおはなしです。

 

ここには、主の使いが時々降りて来て、水を動かすのであるが、水か動かされたあとで最初にはいった者の病気がいやされるという言い伝えがありました。

 

当時は、病気とは汚らわしいもの、病人は礼拝する資格なんてないという考え方がありました。病人たちは、礼拝することもできず、ただ病気が癒されたいがために池で身を伏せて、水が動くのをじーっと待っているのです。そういう人たちが集められた場所でした。

 

どれだけ疎外感を持っていたでしょう。もしかしたら家族の中で差別を受け、1日中そこに置かれているだけの人もいるかもしれません。

 

 

 

ベテスダの池。

ここにいったら、病気が癒されるかもしれない!という言い伝えの中で、地域にいるたくさんの病気の人たちがここに集められた。それは希望のある場所でありましょうか、それとも排除される場所でありましょうか。

 

5そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。」

 

イエスさまはそんな男と出会い、こう語りかけます。

 

6よくなりたいか。」

 

わたしたちの神さまは、ひとりひとりに語りかけてくださるお方です。わたしがわかるように声をかけてくださるお方。その語りかけをいつもききつづけたいのであります。

語りかけをきき、応答する。そんな人生を歩みたいのです。

 

 

ところが、彼はこう答えます。

 

7主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」

 

ちょっと想像してみてください。

ひとつのプールのような池があって、その周りを山のように大勢の病気の人たちが集まっているんです。ちょんと水が動いた瞬間に、最初に飛び込まなければいやされないんです。まばたきもできないんです。誰よりも先に飛び込むために、皆が水面を見つめているんです。

異様な雰囲気であることは想像に難くない。

 

そんなことを毎日やって楽しいはずがありません。

 

そして、もし、38年間病気で苦しむ彼に元気になってほしいと思う人がいるならば、絶対横に誰かいます。彼の目となり手となるような人がいるはずなんです。彼を励ましてくれる人が。

 

でも、彼には、いなかった。

 

彼はどのように思うでしょう。どんな思いだったでしょう。

 

誰からも、期待されていないし、希望を持ってもらえない人生。

 

 

 

この水面を見続けるほかは何もすることができない38年間。そんな人生を歩んでいた彼のもとに、語りかけてくださった方がいるのです。

 

イエスさまは、そういうお方です。

 

 

 

主は、語りかけてくださって励ましてくださって立ち上がらせてくださる!

 

いかなる困難なときでも、このことだけは忘れないでおきたいのです。

 

 

 

わたしたちは何の役にもたたないかもしれないけれど、そんなわたしたちをあわれみ、選んでくださったお方がおられるんだ!ということに、感謝したいと思います。

 

「恵み」とは、受ける価値のない者が注がれる喜びです。

 

取るに足らない、名も無いわたしたちひとりひとりを選んで、神さまのは目的を持って用いてくださいます。わたしたちは神さまの計画・目的を語りかけとしてきき、応答できているでしょうか。

 

今日、わたしは主と共に歩んでいくんだ!

 

その決断から、神さまはこれから恵みの御業をなし続けてくださることでしょう。

 

他の人と比べることをしてはいけません。

決して変わることのない、神さまの遠大なご計画の中の一部に入れてくださっているんだということを覚えながら、主の前に期待を持って歩んでいこうではありませんか。

 

 

以上が藤村先生によるメッセージです。

 

 

奏でてくださるのは主

 

バイバル聖会、本当に素晴らしいときとなりました。

 

僕たちShinsei Youthとしてははじめて大きな集会で賛美奉仕をさせていただきました。

 

ひとりひとり、技術的な面でも体調的な面でも不安はあったと思います。

しかし、共通して体験した神さまのきせきがありました。

 

それは、賛美の中で歌い、楽器を奏でているのは自分のはずなのに、自分が演奏している気がしなかったということを体験したことです。

 

僕たちは賛美奉仕の前に「神さま、どうか僕たちを用いてくださいますように。聖霊による導きがありますように。自分の、人間的なパフォーマンスではなく、本当に霊に満ちた礼拝とさせてくださいますように。あなたに全てをお委ねします」と祈ります。

 

まさに、その通りとなりました。

 

 

聖霊によって満たされ、肩に力を入れることなく、子どものような心で純粋に賛美できる恵みを感謝します。不安や足りない部分を補ってくださったこと、感謝します。

同時に、このユースに新しいビジョンを与えてくださっていることを覚え、感謝します。

 

 

 

ハレルヤ!!

 

最高なのは、イエスさまです。アーメン!!