読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

荒野に響く声

f:id:shinseigroup:20161119120911j:image

 

 

僕たちが信じる神さまは、全知全能の神さまです。

 

言ってしまえば、やろうと思えば、一気にドカーンと全世界の人をクリスチャンにすることだってできるんです。

 

じゃあ、どうして全ての人を一気に救い出さないのか、疑問に思ったことはないかな。

 

 

それは、僕たちに「選択肢」を与えたということ。

 

 

「俺、お前のことめっちゃ愛しているから、言うこと聞け!」

 

それは愛じゃないんです。愛は不自由をつくらない。愛は耐え忍ぶ。

 

神さまの元に行くか、罪を犯すか、それを僕たちに選択させる、という忍耐の愛。

 

 

愛なる神さまは時に、僕たちにチャレンジを与えます。

 

クリスチャンになったからって、苦しいことがないなんてことないんです。

 

神さまは、僕たちを荒野へと導こうとしています。

 

 

 

 

「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」マタイの福音書4:1

 

荒野、それは緑がないところ、枯れ果てた地。

 

日本には荒野は少ないけど、

実はイエスさまが生まれたイスラエルは約半分が荒野なんだって。

 

聖書には、イエスさまは30歳のとき、荒野に導かれたと書いてある。

 

聖書のいう荒野ってどんな場所?

なぜ、イエスさまは荒野に行く必要があったの?

 

 

 

荒野でこそ主との出会いがある

 

荒野には何もない。水も植物もない。命がない場所だ。

 

だからこそ「ただ神さまのみを求める場所」となる。

 

それはときにはつらい、苦しいと思うかもしれない。

 

そんなときこそ、自らひとり静まり主を求める時間を持とう。そこには豊かな喜びと祝福の出会いがある。

 

 

荒野=神殿=主のことば

 

聖書に出てくる「荒野」と「神殿(教会)」という言葉は、

元をたどれば「主の言葉」という同じ言葉が語源となっているんだって!

 

荒野に出るということは、教会に行くということ。

世の誘惑を置いて、イエスさまの言葉を求めるということ。

 

 

みことばによってサタンに打ち勝て!

 

荒野でイエスさまは3度、悪魔(サタン)からの試みに合う。

それはなんと聖書を用いた攻撃であった!

 

 

「へへへっ、お前神の子なら、この石をパンに変えてみろや!」

 

「がはははっ、お前神の子なら、この崖を飛び降りてみやがれ! 旧約聖書に『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』って書いてあるんだぜ。」

 

「ぎゃはははっ、お前もし俺を拝むなら、国々と栄華を全部あげるよ。どうだ?どうだ!?」

 

 

この攻撃に対しイエスさまも聖書を用いて闘う。ここから大切なことを学べる。

 

それは、聖書の間違った解釈による惑わしは最大の攻撃だということ。

 

聖書を正しく理解しよう。

だからこそ、自分で読んで学ぶより、教会で聖書を学ぶことが大事。

聖書を人間のスケールで読み解くんじゃなくて、直接神さまの声を求めよう。

 

 

荒野を経験するとき、苦しいと感じるかもしれない。

 

しかし、荒野はイエスさまと出会える絶好のチャンス。

 

 

 

Challenge
 
 ・イエスさまと一対一の時間を持ってみよう。
・イエスさま以外に求めるものはなにもない状況をつくりだそう。

 

 

 

神さまは、その時間を通して、あなたに語りたいことがある。