読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ルカの福音書1:24−56

 

「マリアは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように』」38


マリアは「おめでとう、恵まれた方、・・・あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい」と語られた。男の人を知らなかったマリア、婚約者ヨセフがいたマリア、まだ未婚だったマリアにとってその言葉を信じるのはあまりにも難しかった。

 

まず未婚の女性が妊娠することは当時、石打ちの刑という死刑に値した。自分が妊娠していることで愛する婚約者ヨセフが自分を捨てるかもしれない。一人で生きて行くすべも「売春」か「物ごい」しかなかった。そもそも処女が妊娠するなんてどういうこと!?

 

でも、天使は最後にこう言うんだ。

 

「神にとって不可能はことは一つもありません。」37

 

可能なことしか告げられないのが人間。不可能に思えるようなさえも語るのが神だ。明日なにが起こるのかもわからない私たち。神は昨日も今日もこれからも永遠を支配しておられる全能の主。主は語り、私たちは従う。

 

私たちは信じ、主がそれを成し遂げる。わたしたちも「あなたのおことばどおり、この身になりますように」と祈るものになろう。わたしの儚い願いではなく、神の偉大な願いがなるように祈ろう。わたしの小さな計画ではなく、神の大きな計画がなるように祈ろう。

 

今日、主の声を聞き、それに従うとき、偉大なみわざがあなたを通して成し遂げられることを感謝しよう!

 

「わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむだろう。耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。」イザヤ書55:2−3

 

P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。

ルカの福音書1:1−23

 

「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。」1−3

 

今日から読んでいくルカによる福音書を書いたルカさんは医者だった。彼は知識を生かし、イエスキリストを綿密に調べ上げ、イエスの目撃者の話をまとめ、確信とともに書き上げた。

 

彼はこの福音が本物であると確信があった。それは徹底的に「これは本物なのか?」と調べ上げたからだ。ある精神分析家が「イエスが神の子なわけない!」というスタート地点で分析をはじめた。その発言、その行動、その反応すべてを調べ上げた検証結果、それは「まさしく神の子である」だった。

 

「来て、そして、見なさい。」ヨハネ1:46

 

わたしたちも中途半端ではいけない。目撃者とならなければいけない。

 

「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」使徒17:11

 

問いがあるところに答えがある。

 

そして、確信というのは体験だ。みことばを聞くだけでは体験できない。みことばに従ってみよう。そのとき、神の国がことばにあるのではなく、力にあることを知ることができる。福音の確信があなたの力となる。今日、イエスの言葉に従い、イエスの目撃者となろう。

 

神の国はことばにはなく、力にあるのです。」1コリント4:20

 

P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。

 

 

 

shinseigroup.hatenablog.com

 

マルコの福音書16:1ー20

 

「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です」6

 

イエスさまを知る前は死ぬのが怖かったかもしれない。でも、イエスさまを知った今、死は怖いものではなく、復活のまえの通過点であることを知った。


自然界には共生という関係がある。共生って言うのは、共に生きると書く。その代表例はサメとコバンザメの関係だ。コバンザメっていうのは名前はサメとついてるが、サバの仲間なんだ。頭に吸盤がついていて大型のサメにくっついて生きる。これによって自分で泳がなくても、連れて行ってもらえるんだ。そして、大型のサメの食べ残した魚を食べられる。そして、何より自分より大きい魚から身を守ることが出来る。

 

自然界においては、このような方法で自分を守る生き物があるんだ。それは自分の力で敵と戦って身を守るというのではなく、敵の敵と1つになることで我が身を守るという方法だ。敵を滅ぼす敵の敵と一体となることで、敵を蹴散らしてしまう。

 

人間にとって最大の敵は、死だ。どんな偉大な人もみんな死んだ。僕らもいつか死ぬ。しかし、この死を復活によって滅ぼしたイエス・キリストは死にとって最大の敵なんだ。

 

この死を滅ぼしたキリストと、一緒に生きることで、人は死の恐れから解放される。もう死はわたしたちを支配していない。一時的現象に過ぎない。

 

あなたの今がどんなに悲惨でも、あなたの人生の終着地点は「死」ではなく「永遠のいのち」だ。もう、死を恐れる必要はない。今日を希望をもって生きていける。

 

『「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。』1コリント15:55−57

 

P.S.祈りのリクエストがある人はいつでも連絡待ってます。